人生はパラパラ漫画
人生は神様脚本の映画みたいなものだ
と、以前記事にしたことがあるが
パラパラ漫画のほうがより近い
パラパラ漫画は
1ページ毎に主役や背景が描かれていて
ページ自体はバラバラだけど
連続して見るとまるで繋がっているように見える
それと同じで
私たちの日常も
すべてが連続しているように感じていても
一連の動作も
常にある風景も
今その瞬間に現れているものが
繋がっているように見えるだけなのだ
雲が動いているように見えているのも
車が走って通り過ぎていくのも
今みているスマホの画面も
みんなパラパラ漫画のようにその瞬間に現れているのだ
そしてパラパラ漫画の中では
常に自分は絵の中心に描かれる
たとえば
歩いていたり
電車に乗っていたり
車を運転していたりして
自分が移動したと思っていても
パラパラ漫画でいえば
背景を少しずつずらして描いているだけで
自分はその場から動いていない
映画でも
電車で移動しているシーンで
セットの電車の中に座り自分は動かず
窓に映る風景を動かして走っているように見せている
これと同じで
実はこの世でも自分はいつも同じ場所にいて
周りのものが動いているだけなのだ
弱虫ペダル
私が10回以上読んだであろう漫画
アニオタだった主人公の小野田坂道くんが
あるきっかけで自転車競技部に入り
いろんな人と関わりながら
ロードレースで戦っていくのだ
この中で主人公の坂道くんと
ライバルの真波山岳くんが
『3日間のインターハイ中チームの勝敗に関わらないどこかの山で勝負しよう』
と約束するのだが
1年目は結局チームの勝利を賭けたゴール前の勝負になってしまい
2年目もさまざまな障害でまたチームの勝敗がかかるゴール前の勝負になってしまう
その2年目の勝負にはいった時の
真波山岳くんのセリフに
ーオレたちのこと上から見てて運命を配置していくような神様的な存在がいるとしてー
ー皆 よく言うでしょー
『いいことがあった』
『最近ついてる』
『悪いことばかりおこる』
『今日は何をやってもダメな日だ』
『神様は何でオレにばかりつらいことを』
『不幸なことは続く』
『クジ運が悪い』
ーだけど たぶん その神様って人はー
ーそこに“いいこと”と“悪いこと”の区別はないー
ー“出来事”を配置しているだけなんだってー
ーわかる?こういうのー
ー「出来事」ならとらえ方とそのあとの自分の行動次第で
いいことにも悪いことにも変えることができるー
ー大切なのは、今でいうと“勝負できる”そのチャンスが巡ってきたということー
ーそのチャンスに感謝して“精一杯生きる”それだけだって!-
ーそれが運命を受け入れることだって!-
やはり人を惹きつけるものを創る人というのは
そういうものの考え方をしているのだなと思う
自分が今まで試練だと思っていることも
とらえ方を変えれば成長するチャンスかもしれない
出来事だけではない
物質だってそうだ
例えばジェットコースター
私は死ぬほど好きだけど
死ぬほど嫌いな人もいる
でもジェットコースターは
ジェットコースターであるだけで
楽しいとか
怖いとか
区別しているのは自分なのだ
結局はいつも言うように
すべての答えは自分の中にあるのだ
開かない扉
私は結構何にでも手をだす
歌に
ゴルフに
スカッシュ
その他いろいろ
最初は教えてもらうのだけれど
ある程度できるようになったら
あとは自分で練習する
・・・で、ある時にスランプに陥る
そしてひたすら練習練習
努力こそが解決策だと思い込んでいた
そしてどうしようもなくなって
また教えてもらってみると
最初に教えてもらっていたことが
自分で練習しているうちに
まったく違うものになっていたことに気づく
引いて開くと教えられたドアを
一生懸命押して開ける練習をしたところで
開くわけがないのだ
いつも自分が正しい道を歩んでいると信じていても
それが実は間違った道であればいつかは道に迷うのだ
自分の信じているものを
たまに疑ってみないと
開かない扉はいつまでも開かないのだ