神様の憂鬱

神様の代わりにいろいろ経験しています

常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである

アインシュタインの言葉ですが
さすが
常識に囚われない人だからこその相対性理論


まず常識とは
『健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別』
健全な一般人て・・・

で、健全という意味を調べてみると
1 身心が正常に働き、健康であること。また、そのさま。
2 考え方や行動が偏らず調和がとれていること。また、そのさま。
3 物事が正常に機能して、しっかりした状態にあること。また、そのさま。

で、一般人という意味を調べてみると
特別の身分や地位をもたない人。また、あることに特別の関係がない人。普通人

不健康な特別な地位を持つ人はどうなの?


あと
手づかみで食事をして行儀が悪いととか
土足で汚いなんて
他の国の健全な一般人にすら通用しないし



常識という自分が勝手に作り上げた枠組みが
それをしてはいけないとか
ああしなきゃいけないとか
こうあるべきとか
生きるうえでの枷になる
まぁ人間としての人生を経験するためのハンデだ



TPOに合わせたマナーは必要だと思うけど
自分の常識と他人の常識は違うので
そのマナーの基準すら怪しいものだ



天動説だってあの時代では常識だったのに
コペルニクスガリレオみたいな人がいたから
今真実を知ることができているのだし
実はこれからまたそれすら覆るかもしれないし


結局常識に囚われない人が時代を変えていってるのだ



今ある常識が明日には非常識になっているかもしれない世界では

『常識的に云々』というよりは
『私が思うには』ってことだよね

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