神様の憂鬱

神様の代わりにいろいろ経験しています

ゴスペル

私は仕事の関係で歌を歌う機会が多く

そのスキルアップのためにゴスペルも歌っている

 

私はクリスチャンではないけど

ゴスペル参加者のほぼ全員がクリスチャンだ

 

Gospelとは『God spell』からきていて

Godとは神、spellとはことば

つまりゴスペルは「神のことば」という意味だそうだけど

歌詞のほとんどが讃美歌というだけあって

神を讃え、讃え、讃え

 

 

 

たしかキリストとは神の子として生まれたという役割ですが

 神の子といえば私達みんな神の子なんですが

 

 

そしてキリストは私たちの罪を背負い

十字架にかかって死を遂げたことにより

全人類の罪を償い、救いをもたらしたて

私たちはは許されたはずなのに

なぜかまだ私たちは罪を悔いて懺悔しているけど

 

 

キリストを崇拝するのなら

同じ神の子である頑張ってる自分も崇拝してもいいよね

 

 

 

カトリックでは

かの有名な購入すれば犯した罪が許されるという『免罪符』を売ったり

(仏教でもお経を唱えるだけで極楽浄土にいける宗派もあるそうだが)

それに抗議してプロテスタントと分かれたり

なんとも人間っぽいような

 

 

まぁたぶん

私が歌うゴスペルと

クリスチャンが歌うゴスペルは

そうとうかけ離れたものになってるに違いない

 

 

でも

神様って

そんなに讃え上げ奉らなければいけないような存在じゃなく

すべてを包んで見守っている存在なんだけどね

 

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