言葉の裏側
言葉というものはとても不自由で
発した言葉の意味は受け取る側に委ねられている
と、前に記事で書いたのだけど
今度は受け取る側も
また難しいという話
昔勤めていた会社の社長の知り合いがきて
『映画を作ったので見て意見をほしい』
ということでその映画を見たのだけれど
男女が木陰に座り何かを語っているというもので
話をしている側の人物の顔をひたすら映しているだけで
引きもなければ風景もなく
他の登場人物もでてこない
意見を欲しいとのことだったので
「小説を読んでいるのと変わりない」
「顔を映しているだけで演出が少ない」
ということを伝えたら
『君はこの映画の良さがわかっていない』
みたいな感じで機嫌を損ねたようだった
そんなことも忘れていたつい最近
ある人に『僕の歌を聞いて直してほしい』と言われ
リズムとかタイミングとか思ったことをいろいろ伝えたら
『この歌は歌詞の意味が重要なんだよ』
と機嫌を損ねて帰っていった
はぁぁぁ?
『意見が欲しい』
と言ったら褒めてくれると思ったのかな?
『良いところを言ってほしい』
って言ったら良かったんじゃないの?
気持ちを察して裏を読めばよかったの?
やはり言葉というものは
なんと難しいことか
表も裏も
あるのものなのだ
百聞は一見にしかず
いくら
この世が仮想現実だとか
この世はゲームだとか
この世は夢みたいなものとか
言っても
たとえ
それを信じたり
そうだと思うようにしたり
そうと仮定しようとしたり
しても
毎日の生活があり
人間関係があり
喜怒哀楽の感情があり
というこの世での人生を送っている以上
この世が云々といってもあまり役には立たないのかもしれない
困っている人に
『人生は思い通りにいかないという経験をするためのもの』
と言ったところで
困っている状況が変わるわけでもなく
何の解決にもならない
私としては状況を変えるのではなく
自分の持ちようを変えてほしいのだけれど
それを伝えることはとても難しいのだ
だけどいつか
『あっ!そういうことか』
という瞬間がくるかもしれない
まずこの世に疑問を持ってもらうためにも
こういうことを言う私みたいなのがいるのだ
やはり
そうだと信じていることと
そうだと知っていることは
全く違うものなのだ